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執筆者の写真北教大旭川陸上部

一区切り

初めての投稿になります。陸上部4年目の佐藤悠生です。旭教陸上部としては北海道インカレが終わると代替わりとなります。(自分は駅伝もあるでまだ引退しませんが…。)ここで一区切りということでこの場を借りて、旭教陸上部での4年間を振り返っていきたいと思います。


「憧れていた大学の陸上生活では、長距離に転向して遺憾無く実力を発揮するぞ」と志し、中距離から転向したのですが、本当にこの4年間は怪我と不調の連続でした。高校生のときは、最後の高3の高体連以外はほとんど思い描いた通りに物事が上手く進んでいました。なので、思い通りに走れていた「過去」と全く思い通りに走ることができない「現在」とのギャップに大学1年生のときから苦しみ続けました。

たしかに長距離に向いていない適性的な部分もあったかもしれませんが、ここまでの怪我と不調はそれ以前の問題だったと思います。


この写真は、1年生のときの北海道インカレの写真です。この写真からも分かる通り同期の仲間たちは多く、最大で11人いました。この頃から夏まではどんなに不調や怪我に悩まされても同期と部活で話したり一緒にいる時間が楽しかったので、なんとか乗り越えれていました。

しかし、秋から冬にかけてその同期の仲間たちがみんな辞めてしまいました。自分が4年目になった際にはチームの最上級生としてなるべくネガティブなことは言わないようにしていたのですが、今は言います。本当にあの時の部活の雰囲気は最悪でした。当時1年生の自分は、どう自分が動けばこの問題が解決されるのか分かりませんでした。沢山同期が辞めてからは部活の雰囲気が嫌すぎて、部活に行かず1人で練習を続けていました。

怪我は多発、不調も続く、仲良かった同期は大量に辞める。そんな状況でしたから、初めて陸上を何度も辞めたいと考えました。


しかし、そんな絶望の淵を救ってくれたのが、このお方。島袋快仁くんでした。かいとは沖縄からはるばる旭川校にやってきてくれた有力な長距離選手です。自分は長距離の知識がほとんど無かったので、本当にかいとの存在は心強かったです。かいとは年齢的には後輩ですが、自分にとっては先輩のようなコーチのような監督のような存在です。かいとが来なければ既に陸上は辞めていたと思います。本当に旭川に来てくれてありがとう。

そんな素晴らしい後輩に出会えたおかげで、大学2年生からはまじめに部活に参加し、真剣に陸上に取り組むようになりました。すると、大学2年生の夏から少しずつ長距離でも結果が出てきて、陸上の楽しさを思い出すことが出来ました。

しかし、自分で言うのも難ですが、大学生になってから未だに自分もかいともポテンシャルに見合う走りを出来ていないと感じています。今シーズンこそ、かいとと2人で駅伝に出場し、笑顔で終えることができるように残り2カ月半ともに努力して高め合っていきたいです。


先に自分を立て直してくれたかいとのことを述べましたが、次に部活を立て直してくれた人たちに感謝の意を述べなければなりません。部活を立て直してくれた人たち、それは同期の4年目の仲間に他なりません。

ずっと部活に残り続けたいけいといつき、戻ってきたあすかとかめが組織が回るように働きかけてくれたおかげです。自分は公務員予備校の関係で3年生後期から全然部活に参加できなくなって、部活の雰囲気づくりやシステムの立て直しにあまり関わることが出来なかったのですが、彼らがそれらを中心となってやってくれました。そのおかげもあって、部活としてやっと成り立つようになった旭教陸上部の代替わりはとても気持ち良く終えることが出来ました。

本当に同期や後輩たちには感謝の気持ちでいっぱいです。正直、その想いをここに言葉で言い表すことは不可能です。


よって、自分はまだ引退しないので、これから2カ月半の「走り」で感謝の気持ちを伝えたいと考えています。

自分が北日本インカレの1500mや駅伝でいい走りをして結果を残せば、後輩たちに「どんなに辛くても辞めなければ、素晴らしい出会いとキッカケに巡り合うことができ、最後は笑って終えることができる」ということの証明を見せることができると思うからです。そして、同期に「共に苦しみながら陸上と向き合った4年間の日々は無駄じゃなかった」と証明することができると思うからです。

残り短い期間しか残っていませんが、これまでの陸上人生の集大成を懸けて、全力で陸上に取り組んでいきたいと思います。


次は、かめお願いします!


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